【OSC福岡2025参加レポート】NetBSDセッションで痛感した、時代に逆行するような「継続」の凄み

みなさん、こんにちは。

秋も深まり、エンジニアの熱気も最高潮に達するこの季節。2025年11月22日に九州産業大学で開催された「オープンソースカンファレンス(OSC)福岡2025」に参加してきました。今回はその参加レポートです。

会場のあちこちで交わされる技術談義、そして新しい知見との出会い。やはり現場の空気感というのは格別なものがありますね。

今日は、数あるセッションの中でも特に印象に残り、私のエンジニアとしての価値観を揺さぶるような発表があったので、その内容と私なりの感想をじっくりと共有したいと思います。

そのセッションのテーマはNetBSDです。

 


 

20年ぶりの再会、MobileGear2の記憶

 

実は私、この「NetBSD」という単語を聞いて、胸の奥がキュッとなるような懐かしさを覚えました。

今からおよそ20年前、まだスマホなんて影も形もなかった頃。私はMobileGear2(通称:モバギ2)というハンドヘルドPCを愛用していました。本来はWindows CEが動く端末なのですが、その小さな筐体に無理やりNetBSDをインストールして、外出先で黒い画面(ターミナル)を叩くことに無上の喜びを感じていた時期があったのです。

あの頼りないけど打ちやすいキーボード、サスペンドからの爆速復帰、そして掌の上で動くUNIXの鼓動……。 しかし、時代が移り変わり、ハードウェアが進化するにつれて、私はいつしか便利な環境へと流され、NetBSDの世界から遠ざかってしまいました。

「まだ、あそこで頑張っている人たちがいるんだ」

そんな、旧友に再会するような少し後ろめたい気持ちを抱きつつ参加したセッション。そこで講師の蛯原純さん(日本NetBSDユーザーグループ)から語られたのは、想像を遥かに超える、「移植性(Portability)」への執念とも呼べる活動報告でした。

 


 

「動かないハードウェアはない」を目指して

 

NetBSDプロジェクトの目標は、シンプルかつ壮大です。 それは、「サポートするハードウェアを増やし続けること」。

「仕様が公開されているハードウェアがあれば、プロジェクトメンバーが総出で移植する」

言葉にすれば簡単ですが、これを継続するのは並大抵のことではありません。

最新ハードウェアとの戦い – Raspberry Pi 5の壁

例えば、IoTや電子工作でおなじみのRaspberry Pi(ラズパイ)。当然のようにNetBSDも移植されているのですが、ここには「オープンソース」ならではの壁が存在します。

現在、Raspberry Pi 4までは仕様が解析されているため、NetBSDは問題なく動作します。しかし、最新のRaspberry Pi 5に関しては、まだ完全ではありません。
なんと、ネットワーク周りのデバイスドライバがなく、有線LANも無線LANも動作しないというのです。

「動かない」理由はシンプルで、「仕様(スペック)がわからないから」

メーカーから仕様が開示されていないハードウェアを動かすことがいかに困難か。逆に言えば、仕様さえ公開されていれば、彼らはどんな手を使ってでもNetBSDを動かしてしまうのでしょう。ここに、オープンソースコミュニティの意地と、メーカーの情報の透明性の重要さを改めて突きつけられた気がしました。

「実機がないなら作ればいい」エミュレーターの世界

NetBSDの「継続」への執念は、最新ハードウェアへの対応だけではありません。むしろ、「過去の遺産をどう残すか」という点において、その真価が発揮されています。

みなさんは、かつてオムロンが製造していたワークステーション「LUNA」をご存知でしょうか?

LUNAシリーズの「LUNA-88K」は 、CPUにMotorolaの88000を搭載しており、なんと現在日本国内で稼働する実機は5台程度しかないそうです。

「実機が5台しかないなら、もう使えないじゃないか」

普通ならそう諦めてしまうところですが、NetBSDの住人たちは違います。 「実機の寿命が来たのなら、エミュレーターで延命すればいい」という発想になるのです。

セッションでは、NetBSD上で動作する「nono」というエミュレーターが紹介されました。これを使えば、希少なLUNA-88K(OSはOpenBSD)や、国内に20台ほどしか残っていないLUNA-68K(CPUはm68K)を、現代のマシン上で動かすことができます。

さらに驚いたのが、Z80エミュレーター上で動かす「NEC PC-6001」の話です。実機当時の主要記憶メディアだったテープの読み込みの遅さを「あっという間」に短縮しつつ、PSG音源を完全再現。さらには、当時のプログラムが「ハードウェアの処理速度」に依存して作られていたことを考慮し、エミュレーター側で実機の動作速度(遅さ)を完璧に調整して再現しているというのです。

描画処理やPSG音源の再生は動作速度が異なると目も当てられない状況となるのに、エミュレーターでは完全再現できている。

「自分の好きなマシンで、好きなプログラムを動かし続けたい」

その純粋な動機のために、ハードウェアの寿命という物理的な限界すらも、ソフトウェアの力で超えていく。私がMobileGear2を手放してしまったのとは対照的に、彼らは単にOSを移植するだけでなく、その上で動く過去の資産(文化)もすべて救い上げていく活動を続けていました。これはもはや技術活動というより、デジタル文化財の保護活動と言っても過言ではないでしょう。

 


 

プログラミング言語の「断絶」を埋める努力

 

ハードウェアの話だけではありません。ソフトウェア、特にプログラミング言語のバージョンの違いによる「断絶」を埋める作業にも、NetBSDコミュニティは全力を注いでいます。

私たちが普段何気なく使っているPythonなどの言語も、バージョンアップによって挙動がガラリと変わることがありますよね。特にPythonはバージョン3系の中でもマイナーバージョン間の差異が大きく、互換性の維持に苦労することが多々あります。

NetBSDの開発者たちは、OS上で動く言語の仕様変更を常に監視し、メンテナンスし続けています。挙動が異なるようになれば、基本的には本家へIssueを送って修正を依頼するそうですが、必要とあれば自分たちでパッチを当ててでも動かす

「OSが変わっても、言語のバージョンが上がっても、昨日動いていたプログラムは今日も動くべきだ」

そんな無言の信念を感じずにはいられませんでした。

 


 

なぜ、そこまでして「継続」するのか?

 

セッションを聞きながら、私はずっと考えていました。「なぜ、シェアがほとんどないNetBSDで、ここまで労力をかけてサポートを続けるのだろうか?」と。

正直なところ、Webサーバーを立てるにしても、開発用クライアントにするにしても、今あえてNetBSDを選ぶ「実利的な理由」は少ないかもしれません。Red HatやUbuntu、あるいはmacOSやWindowsの方が、情報も多くて楽なのは事実です。私自身、MobileGear2から離れてしまったのは、そうした「楽さ」を選んだからでした。

しかし、蛯原さんの話を聞いていて気づいたのです。 NetBSDが提供しているのは、機能や便利さではなく、「変わらない安心感」と「自分の環境を自分で守り抜く自由」なのだと。

「濃いユーザーが、自分のための環境を使い続けたいから」 「誰か一人でも使う人がいる限り、サポートし続けたいから」

この動機は、損得勘定を超えています。最近の商用ソフトウェアは、5年どころか、下手をすれば2年足らずでサポートが打ち切られることも珍しくありません。「OSのアップデート対象外になったので、ハードウェアごと買い替えてください」と言われることにも、私たちは慣らされてしまいました。

そんな「使い捨て」が当たり前の現代において、「組み込み用途で20年間変えずに使い続けたい」といったニーズに応えられるOSが、果たしてどれだけあるでしょうか? OS上で動くソフトのサポートが切れても、オープンソースであるNetBSDなら、やる気さえあれば自分でメンテナンスして永遠に使い続けることができる。これは、他の何物にもかえがたい最強の強みだと感じました。

 


 

継続は力なり、を地で行く「皆勤賞」

 

最後に、講師の蛯原さん自身のエピソードがとても素敵だったので紹介させてください。

なんと蛯原さん、オープンソースカンファレンス(OSC)の皆勤賞なのだそうです。 全国各地で開催されるOSCに、ずっと自費で参加し続けていた時期があったとのこと。その継続的な活動がOSC運営側から表彰され、それを会社に伝えたところ、会社がその価値を認め、以降は旅費を経費として出してくれるようになったそうです。

「好きだから続ける」「必要だと思うから続ける」。 その個人の熱意が、周囲を動かし、会社を動かし、そしてこうしてNetBSDという文化を守り続けている。

NetBSDに「継続する精神」が宿っているからこそ、その開発者もまた、継続することの尊さを体現しているのだと、妙に納得してしまいました。

 


 

まとめ – 私たちが忘れかけているもの

 

今回のNetBSDセッションは、単なる技術解説を超えて、エンジニアとしての生き方や、モノ作りへの向き合い方を問いかけられたような気がします。

20年前、私がMobileGear2の小さな画面で夢見ていた「自由」は、形を変えながらも、NetBSDの中で脈々と受け継がれていました。次々と新しい技術が生まれ、古いものが捨てられていくこの業界で、「一度生み出したものを、責任と愛着を持って守り抜く」という彼らの哲学は、今の私たちにこそ必要な視点ではないでしょうか。

シェアや流行り廃りとは無縁の場所で、淡々と、しかし情熱的に「継続」し続けるNetBSDの世界。もし皆さんも、「この環境をずっと残したい」「この古いマシンをどうしても動かしたい」という場面に出会ったら、NetBSDのことを思い出してみてください。そこにはきっと、頼もしい先人たちの知恵と、変わらない自由が待っているはずです。

私も20年ぶりにNetBSDのインストールに挑戦したいと思います。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

それでは、よいプログラミングライフを!

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