みなさん、こんにちは。
先日、福岡で開催された臨床工学会に参加してきました。目的は、私がかねてより取り組んでいる「医療機器のアラーム疲労対策」について、現在の医療界のトレンドや現状を把握するためでした。
医療における「アラーム疲労」とは、対応不要な、いわゆる「無駄鳴り」のアラームが慢性的に鳴り続けることで、医療スタッフが音に対して麻痺してしまったり、本当に危険なサインへの対応感度が低下してしまったりする現象を指します。何度消音ボタンを押しても、すぐにまた鳴り出すモニター。これが24時間続くことで、現場の注意力がじわじわと奪われていくのです。
学会で熱心な演者たちの発表を聞いているうちに、私の頭の中にある「違和感」とひとつの問いが浮かび上がりました。
「現在、医療界が総出で取り組んでいる『アラーム削減活動』だけでは、現場のアラーム疲労は絶対に解決しないのではないか?」
今回は、一歩間違えれば批判を浴びかねない、しかし現場の看護師たちが確実に抱えている「心理的なタブー」に切り込んでみたいと思います。
医療界の正攻法 – アラーム疲労に立ち向かう「MACT」
多くの病院には、MACT(Monitor Alarm Control Team:モニターアラームコントロールチーム) という院内の専門組織が存在します。彼らの役割は、主に次のような継続的な医療安全活動です。
- モニターアラームの鳴動数を適切にコントロールする
- 過剰なアラームによる現場の疲労や、重要アラームの見逃しを防ぐ
- アラーム設定の標準化を通じて、病院全体の医療の質を担保する
これまでのMACTの主な取り組みは、電極の剥がれなど「機器トラブルによる無駄なアラームの削減」が中心でした。しかし最近では、一歩進んで「患者ごとの病態に合わせて、適切な閾値(アラームが鳴る境界値)を個別に設定する活動」へとシフトしつつあります。
確かに学会の報告でも、これらの取り組みにより院内のアラーム総数が年々減少しており、明確な成果を上げている事例が多数示されています。
しかし、私が現場の看護師たちにそっと本音を聞いてみると、返ってくるのは意外な言葉でした。
「正直、アラームが減ったと言われても、あまり効果(楽になった感覚)を感じない」
数値上は確実に減少しているはずなのに、なぜ現場の疲労感はそれほど軽減されないのでしょうか。
「常に正しい閾値」など存在しないという構造的罠
なぜ削減活動が現場の楽さに直結しないのか。それは、MACTの活動が「適切な閾値を設定すれば無駄鳴りは減る」という、静的な前提に立っているからです。
しかし現実の人間、つまり患者の状態は24時間「動的」に変化します。
- 体位変換(寝返り)をしただけで、一時的に測定値が変わる
- 看護師と言葉を交わしたり、咳をしたりしただけで呼吸数が跳ね上がる
- 投薬のタイミングや、深い睡眠に入ったことで循環動態が大きく変動する
つまり、医療機器にとって「常に100%正しい閾値」など物理的に存在しないのです。もしこれらを患者の動的な変化に合わせてリアルタイムに変えようとすれば、その都度、医師の頻回な指示が必要になり、臨床の現場は確実に崩壊します。
結果として、万が一の安全性を担保するためには、アラームの閾値は「鳴りすぎるくらいの最低ライン」に設定せざるを得ないのが実情です。だからこそ、どれだけMACTがデータ分析をして頑張っても、システムの構造上、無駄鳴りは必ず残ります。
現場の看護師たちは、長年の経験からこのことを痛いほど理解しています。だからこそ、「無駄鳴りはあって当たり前」という前提で、日々モニターに向き合っているのです。
医療界のタブー – 熟練ナースほどアラームを「無視」している
ここで、非常に興味深い、そして公には語られない現場の行動パターンがあります。アラームが鳴ったときの対処方法が、看護師の経験年数によって全く異なるのです。
- 経験が浅い看護師
アラームが鳴ると、文字通り律儀に反応し、焦って駆けつける。 - 経験がある熟練看護師
アラームが鳴っても、患者の全体の文脈から「あ、これは大丈夫なやつ」と瞬時に判断し、あえて即時対応を見送る(いわゆる「無視」する)。これは単なる怠慢ではなく、患者の状態・経過・疾患特性を総合的に踏まえた優先度判断です。
熟練者は、単に機器の数値を見るのではなく、患者の現在の状態、直前の経過、疾患の特性などを総合的に脳内で掛け合わせて判断しています。
しかし、この極めて高度で安全な「無視の判断基準」は、病院内で決して言語化されることはありません。
なぜなら、医療界には「アラームは絶対に無視してはいけない」という絶対的な文化があるからです。万が一「このパターンは無視していい」とマニュアルに書いたり口にしたりすれば、何かあったときに責任問題へと直結してしまう。結果として、この重要な臨床の知恵は、信頼できる先輩から後輩へと、非公式な「口承」に頼るしかなくなっているのです。
アラーム疲労の本質は「数」ではなく「不安の蓄積」
私は現場を観察する中で、ひとつの確信に至りました。現場を狂わせるアラーム疲労の本質は、決して「アラームの回数が多いこと」そのものではありません。
真の疲労原因は、「自分が今、臨床的文脈から『大丈夫』と判断して無視した行動が、本当に正しかったのかどうかを後から検証できない不安」、これが毎日、毎シフト、何十回と脳内に蓄積していくことにあるのではないでしょうか。
数字のプレッシャーではなく、「見落としていたらどうしよう」という潜在的な恐怖が、ナースの精神を摩痺させていくのです。
だからこそ現場に必要なのは、アラームの数をゼロにすることではなく、「このアラームは、こういう臨床的理由があるから、現時点では無視(経過観察)してよい」という判断根拠の可視化です。根拠が目に見えれば、現場の不安は劇的に減り、本当の意味で疲労が軽減されるはずなのです。
システム化が招く、もうひとつの巨大な落とし穴
「だったら、その無視していい基準をシステムに組み込んで、自動で判定させればいいのでは?」と思うかもしれません。しかし、ここには医療安全上の大きな落とし穴があります。
アラームを「無視してよい範囲」は、患者の状態と同じく、その瞬間ごとに動的に変わります。これをシステム(固定のロジック)に委ねて自動判定させるのは、極めて危険です。なぜなら、人間には正常化バイアスがあるからです。
- 「昨日はシステムが『無視してOK』と言っていたから」
- 「いつも鳴るけど大丈夫なやつだから」
- 「画面に問題ないと表示されているから」
このようにシステムに依存し始めると、人間の危機感は薄れ、「無視してよい範囲」が、取り返しのつかない事故が起こるその瞬間まで、無意識のうちに拡大していくことになります。
動的に変わる領域は、絶対にシステム化してはいけない
状況によって正解がグラグラと変わる領域を、固定されたロジック(システム)で扱おうとすると、必ずどこかで致命的な事故が起きます。これは医療に限らず、あらゆる安全領域に共通する鉄則です。
たとえば、航空機のコクピットを思い浮かべてみてください。高度に自動化された現代の飛行機にも、分厚い緊急対応マニュアルが常備され、手順化されています。しかし、どれだけテクノロジーが進化しても、最終的な意思決定の権限は必ず人間のパイロットに委ねられています。
これは安全工学において「人間中心のアプローチ(Human-Centered Approach)」と呼ばれる考え方です。「システムは常に不完全であり、想定外の事態が起こる」という前提に立ち、最後の帳尻合わせは人間に任せるという思想です。
医療のアラームも全く同じはずです。
- 目の前の状況は、毎回違う
- 患者の個別性も、毎回違う
- 発生している前後の文脈(ストーリー)も、毎回違う
だからこそ、この動的な判断をシステムというブラックボックスに任せてはいけないのです。
最も安全な解決策 – 人間が参照する「状況別の動的メモ」
では、システム化もできず、属人化も許されない中で、どうすればいいのか。最も安全で、かつ現場のリアルにフィットするのは、「動的に変わる領域をあえて手順として書き出し、状況別のメモとして人間が参照できる形にする」という、極めてアナログで泥臭い方法です。
メジャーリーグ(MLB)の守備陣を思い浮かべてください。彼らはバッターが変わるたび、あるいは投球の合間に、ポケットから小さなメモ(データカード)を取り出して立ち位置を確認しています。風、バッターの調子、カウントによって最適解が「毎回変わる」からこそ、頭の中だけで処理せず、しかし固定もせず、メモを参照しているのです。
医療現場が目指すべき道も、ここにあるのではないでしょうか。
- ルールをガチガチに固定化しすぎない
- しかし、個人の「勘」として属人化もさせない
- 先輩ナースが持つ「判断の根拠(文脈)」が、その都度共有される
- 経験の浅い看護師でも、メモを見れば「あ、今の患者さんの状態なら、このアラームは慌てなくていいんだ」と迷わずに済む
これこそが、現場を救うインフラだと考えます。
必要なのは「削減」ではなく「文脈の可視化」
これまでのアラーム削減活動は、もちろん間違いではありませんし、重要な基盤です。しかし、それだけでは現場の心は軽くなりません。患者が生きている以上、無駄鳴りは絶対にゼロにはならないからです。
今本当に求められているのは、
- アラームを一時的に見送ってよいという「臨床的根拠」を示すこと
- 経験の浅いナースでも、熟練ナースと同じ「文脈」を瞬時に理解できること
- その動的判断をシステムに丸投げせず、人間が主観を持って参照できる仕組みにすること
学会を終えた後、私はこの仮説とアイデアを何人かの親しい医療関係者にぶつけてみました。しかし、返ってきた反応は「アラームを無視することを公認するなんて、安全管理上あり得ない」「責任の所在はどうなるのか」といった、やはり強い抵抗感でした。
しかし、綺麗事の裏で、現場の看護師たちが毎日どれほどの不安と疲労を擦り減らしているか。それを思えば、この「判断根拠の可視化」というタブーへの挑戦こそが、医療安全の未来を変える鍵だと私は信じて疑いません。
このアラーム疲労の真の解決に向けて、既存の枠組みを超え、このアイデアを一緒に形にしてくれる仲間を私は探しています。ぜひ一緒に医療を変えていきましょう!
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは、よいシステム企画ライフを!



