みなさん、こんにちは。
最近、ネットで「エンジニアに事業目線は必ずしも要らない」というnoteの記事を読みました。
タイトルは、やはり、逆張りでした。本文を読み進めてみると、結局のところは「給与を上げたいなら、自由度を上げたいなら、あるいは組織に文句を言いたいなら、事業目線が必要だよ」という、一種の「条件付きの肯定」に着地していました。
でも、じっくり読み進めると、どうにも頭の片隅で違和感が消えなかったんです。その違和感の正体を自分なりに掘り下げていくと、今のプロダクト開発界隈が抱えている、ある「構造的な問題」が浮かび上がってきました。
今回は、その違和感について少しお話ししてみたいと思います。
「事業目線」の前に、もっと大切なものが消えてません?
私がこれまで仕事の中で先輩たちから徹底的に叩き込まれてきたのは、事業目線云々よりも、もっと手前にある基本の話でした。
- 「自分の仕事は、誰の、何の役に立つのか?」
- 「その価値は、一体どこにあるのか?」
これはエンジニアに限った話ではなく、すべての職種に共通する「仕事のいろは」ですよね。
ところが、最近のプロダクト開発の議論を見ていると、この「価値」の話がすっぽりと抜け落ちているように感じます。代わりに飛び交っているのは、以下のような「ビジネスの言語」ばかりです。
- 事業構造
- レバレッジ
- 収益モデル
- 効率化
- グロース
本来は「価値があること」が前提のはずなのに、その肝心な前提が語られないまま議論が進んでしまっている気がするのです。
「後工程をお客さんと思え」という文化の消滅
今の時代には少し合わない、古くさい考え方だと言われてしまうかもしれませんが、私は昔、よくこんな風に言われました。
「後工程をお客さんだと思って仕事をしなさい」
テスト工程、運用工程、保守工程……。どこかで自分が手を抜けば、巡り巡って必ず後ろの工程の誰かが痛い目に合います。 昔は、だからこそ「価値のないもの(手抜き)」を作ると、開発プロセスのどこかで破綻して露呈したんですよね。いわば、現場の「痛み」が、その仕事に価値があるかを検証する装置になっていたわけです。
しかし、今のモダンな開発現場では、この痛みを直接経験しないことが多くなっています。
- CI/CD
- 自動テスト
- SRE
- クラウド基盤
- A/Bテスト
これらが非常に優秀なおかげで、痛みをきれいに吸収してくれます。そのため、プロセスとしての破綻が表面化しにくくなっているんです。
その結果として、残念ながら「価値が欠如していることに誰も気づかないまま、開発がどんどん進んでしまう」という歪な構造が生まれてしまいました。
「ユーザーを見ろ」が「収益源を見ろ」に変質してしまった
本来、私たちが目指すべき「ユーザー中心」の設計とは、以下のような価値のストーリーだったはずです。
- 「誰が」
- 「どんな課題を抱えていて」
- 「それをどうやって解決するか」
ところが現代のプロダクト界隈では、「ユーザー = お金を払ってくれる人」という風に、少し短絡的に捉えられるようになってしまいました。
その結果、「ユーザーを見ろ」という言葉が、いつの間にか「ユーザーの財布(売上)を見ろ」という意味に変質してしまったように感じます。ガチャを仕組みの中心に据えたソーシャルゲームが、ビジネス(事業)として大成功を収めた功罪が、ここに大きく影響しているのではないでしょうか。
先行投資型のサービスでさえ「収益モデル先行」になる危うさ
SaaSに代表されるようなモダンなクラウドサービスは、「収益は後からついてくる」という前提で開発されますよね。こうした先行投資型のサービスこそ、本来は以下のような「価値の積み上げ」が何より先にあるべきです。
- 社会的な価値
- ユーザーの行動変容
- 信頼の構築
- 長期的なインパクト
しかし今の風潮を見ていると、「現時点で価値が実証されていなくても、将来の綺麗な収益モデル(事業計画)さえ描ければ正当化される」という空気が強いように感じます。
価値が置き去りにされ、事業構造の美しさだけが語られる。私はここに、作り手や事業会社としての「無責任さ」を感じてしまい、強い危機感を覚えるのです。
価値の話をしないまま「事業目線」を語る怖さ
事業責任者やビジネスサイドの方であれば、本来は心の底で理解しているはずです。「価値がなければ、そもそも事業なんて成立しない」し、「事業とは、価値を届けた延長線上にあるものだ」ということを。
しかし、今のプロダクト界隈では、この順序が完全に逆転してしまっています。
- 価値 よりも 「事業構造」
- 課題 よりも 「収益モデル」
- 現場 よりも 「PL(損益計算書)」
- 痛み よりも 「効率」
こうした「逆転現象」が、プロダクトから中身(価値)をすくい取ってしまい、空洞化を生み出してはいないでしょうか。
価値起点で仕事をしてきた人間としての違和感
私は普段、医療や介護のIoTという領域でシステム開発やプランニングに携わっています。この現場にいると、もしシステムに「価値(実用性)」が欠けていれば、それは一瞬で現場のリアルな痛みとして跳ね返ってきます。
- 現場のスタッフさんが大混乱する
- 患者さんや利用者さんが本当に困る
- 毎日の運用が完全に破綻する
だからこそ、「価値が前提である」ということは、理屈ではなく身体感覚として染みついています。
そんな視点を持つ人間から見ると、今回のnoteのように「価値の有無」には触れず、「どうすれば事業として成り立つか(事業構造)」だけをスマートに語る議論には、どうしても「無責任さ」を感じてしまうのです。
いまこそ、価値の話を取り戻すとき
現代のプロダクト開発は、価値の本質を置いてけぼりにしたまま、事業構造やビジネスモデルだけが一人歩きしている、少し危うい状態にあると思います。
だからこそ、いま私たちが取り戻さなければいけないのは、
「 価値 → 事業 → 収益 」
という、本来の正しい順番です。そして、「自分の仕事は、一体誰の、何の役に立っているのだろう?」という、最も泥臭く、最も基本的な問いを、もう一度ものづくりの中心に据えることだと思います。
「エンジニアに事業目線は必要なのか?」という問いに対して、私の答えはこうです。
「エンジニアに必要なのは、事業目線じゃない。そのプロダクトに『価値があるかどうか』を徹底的に考えることだ」
前提としての価値
「事業目線が必要か、不要か」という議論は、本来その手前にあるべき「価値の話」を抜きにして語るべきではありません。
価値がなければ、事業は成り立ちません。
価値がなければ、継続的な収益も生まれません。
価値がなければ、そのプロダクトが社会に残ることもありません。
価値を語らずに事業を語る今の風潮に、私はエンジニアとして、そして一人の人間として、強い危機感を覚えています。みなさんの現場では、「価値」の話がしっかりとできていますか?
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、よい事業開発を!



